病気の原因を考えるほど、病気になるってなんでなの?
すべてじゃないんだけど、例えば『がん』で考えてみるよ~
その前に、すべてじゃないってどういうこと?
たとえば、腕をぶつけて腕が痛むのは、「ぶつけた」っていう原因があるってこと。
それは、ぶつけるということを防げれば、その痛みは出てこないよね。
それは、原因が明確にあるってことになるよ。
その他には、「O-157のついている食べ物を食べたら食中毒になった」っていういのも、原因がはっきりしているよね。
じゃ、原因って大切じゃん!
そう、はっきりしているものは大切なの。
その場合、たいていはシンプルなんだ。
じゃ、原因を考えるほど、病気になるってどういうこと?
「がん」とかだと、いろんな背景があって「がん」って出てくるんだよ。
その大本は、食べ物とかじゃないの。
もちろん、食べ物も一つの要因だし、生活スタイルも一つの要因。
でもね、もっと根本的な部分が土台になって、食べ物とか生活スタイルとかを決めているんだよ。
原因を探そうとするとき、いつも外に原因を見つけようとするでしょ!
外って、どういうこと~?
外って言うのは、食べ物とか生活スタイルとか、自分の外側の環境のこと。
身に着けるものとか、行く場所とか。
あ~、なるへそ!
あそこに行ったから病気になったんだなとか、あれを食べたから病気になったんだなとか、そういうこと?
そうそう!
え?
だって、原因って外にあるんじゃないの?
もちろん、外にあるものもあるよ!
でもね、すべてがそうって言うわけじゃないんだ。
タバコたくさん吸ってても長寿の人がいるよね。
※煙草を吸うことを推奨するものではありません。
肺がんの原因はタバコだって一昔前は言われていたよ。
もし、それが本当なら、肺がんの原因の大半がタバコなら、喫煙率が低下すれば肺がんも低下するはずだよね。
でも、喫煙率が低下しても肺がんは低下していないんだよ。
ほんとだ!
厚生労働省のホームページでもわかるね!
って言うことは、病気の原因を探るのは学問に任せて、病気の人はやる必要はないってこと。
へ?
じゃぁ、何をすればいいの?
病院から言われたことをしていればいいの?
医者が言ったことだけをすればいいの?
そうじゃないのよ。
病院から言われようが、医者が言ってこようが、自分で判断するってことがとっても大切だから、そこはきちんと自分で調べてね。
で、それ以上にしてほしいことがあるの。
何?
それは、「がん(病気)になったのは、何のためになったのかな?」「がん(病気)は、今の私に必要なこととして起きてくれたとしたら、何を気づかせたいのかな?」って考えてほしいのよ。
それを考えて、何になるの?
たとえばね、「あ、呼吸が苦しいってことは、言いたいことを言えていない自分に気づかせるためかな?」って出てきたとするよね。
そしたら、言いたいことが浮かんだら言う練習をするの。
この人に嫌われたくないと思って言わなかったけど、言ってみようってなって欲しいの。
今までの生き方が病気をつくって、病気は「今までの生き方だとこうなるよ、もう変わる時じゃないの?それとも今までの生き方のままもっとひどい状態になっていきたいの?」って教えてくれているものっていう前提に立ってほしい。
外に原因を求めるんじゃなくって、内に原因を見つけるってこと?
そう!
原因って言うより、気づきとか糧っていう言葉を使った方がしっくりくるけどね。
もうね、「我慢する」とか「頑張る」とかする必要がないの。
すぐにはできないかもしれないけど、ちょっとずぐ「我慢する」「頑張る」を取り外していってほしいの。
だって、我慢するとか頑張るってのは、周りに気を使って自分自身を無視したり抑圧していくことだよ。
病気にならないはずがないじゃん!
・・・
だからね、「病気の原因を考える」という行動をすると、「あれがダメだったかな、これがダメだったかな、どうしてこんなことになってしまったんだろう、やっぱり私ってダメなんだな」って、自分自身を責めたり、「あいつのせいだ」みたいに誰かを責めることにつながって、結局、いい方向に行かないんだよ。
「何のために必要だったのかな」って考えると、今まで抑圧していた自分を解放するためとか、休まずに来たけど休みたかったということを教えてくれるためとか、未来の希望に沿った回答が頭の中に浮かんでくるんだ。
頭の中に浮かんで来たら、それをやった方が心が晴れてくるよね。
心が晴れるってことは、心と身体はつながっているからよい方向にも進んでいくんだよ。
もう、自分をいじめるの、やめな!
っていう、サインかもしれないよ!
ちょっと納得したかも!
ちょっとやってみるね!
そうね、まず、やってみようね♪
今日も読んでいただき、ありがとうございます✨