自己否定してしまう自分、自己卑下してしまう自分、そんな自分から変わりたいという方向けの記事になります。
「自己否定をしない」とか「自己卑下をやめよう」という話ではありません。
だって、「しない」「やめよう」なんて今まで何度も何度も考えてきたことじゃないですか。それを考えても変わることはできません。だって、「しない」「やめよう」と考えた瞬間に、自己否定・自己卑下について考えてしまうから。
じゃ、どうすればいいのって言う具体的なお話をさせて頂きました。
自己否定や自己卑下する自分から変わりたいと思う方、参考にしてください。
自己否定や自己卑下ってどうして生まれてるのでしょう。
それは、まじめに教育を受けてきた人ほど、生まれやすいシステムになっています。
小学校・中学校・高校では、他人と比較することが義務付けられる方式です。
点数制という一点から見てもそう。
あの人と比べて・・・
この人と比べて・・・
で、やっかいなのは、親や教師もそのような目線であなたを見てきたという点です。
あの子は良い点数になってきたよね
点数、もっと高めないとだめなんじゃない
もっと勉強頑張れよ
僕らは他者との比較をすることが当たり前だという洗脳を、小さい時から植えつけられてきました。
それが自分が優れている点に気が付く比較ならまだいいですが、自分が劣っている点に気が付く比較ばかりだったのではないでしょうか。
○○に比べたら、自分はできていない
○○に比べたら、自分はまだまだだ
そういう社会で過ごしているうちに、無意識に他者との比較が普通になって来るんです。
これは、思考の癖なので直すことができますが、癖は癖として認識しないと直せません。
この点は後で分かりやすく説明できたらと思います。
他者との比較が植えつけられると、今度は自分の理想とも比較しやすくなります。
多くの場合は、自分が持っている理想というのは、他者や社会から植えつけられた幻想でしかすぎないのですが、それでもその理想に自分が「ない」ところばかり意識するようになり、自己否定・自己卑下が日常化してしまいます。
たとえば、自分がおおらかに過ごしたいという(植えつけられた)理想があったとして、自分が短気に振る舞ったら、「あ~、自分は何て事をしたんだ。やっぱり私はダメな人間だな」となってしまうんです。
もちろん、理想の人物像を持つことはとっても大切です。
性格が良いとか、勉強ができるとか。
豪華な家に住むとか、好きな車に乗っているとか。
そういう理想を持つことはとっても大切なんです。
大切なんですが、それを手に入れていない自分にフォーカスするのは何の意味もありません。
物質面でよくありがちなのは・・・
理想の車を考えていたとしますね。
でも、今はまだその理想の車を持っていないとします。
理想の車を考えれば考えるほど、今は持つことのできない自分を一生懸命に考えてしまうパターンです。
引き寄せが上手な人は、「あ~、あの車いいな、最高、乗れたらどんな気分だろう?」って、乗れること「だけ」を考えますが、自己否定や自己卑下が癖になっている人は、「あ~、あの車いいなぁ、最高だなぁ、でも自分には乗れないよなぁ、そんな収入ないしなぁ」となってしまいます。
思考は後に思った方が強く働くので、やっぱり自己否定・自己卑下することで考えが終わってしまい、自己否定・自己卑下する自分(の考え)を強めてしまうんです。
精神面でよくありがちなのは・・・
小さい頃から「そんな考えしちゃだめ」とか「どんな人にも嫌な感情を持ったらだめよ」っていう教育を受けていたとしますね。
それが続くと、こうなります。
人から何か嫌なことをされてイライラする出来事が起きたとします。
このとき、素直にイライラしてそのイライラをいい感じに解消すればいいだけなのに、「イライラしちゃだめ」「あの人だってきっといい人よ」と自分の感情や考えを否定します。
せっかく出てきた考えや感情を、自分自身で否定することを始めるんです。
「イライラするなんて、自分はまだまだだわ、ダメな人間ね」っていう具合に。
それが続けば、自己否定・自己卑下になりますよね。
自己否定・自己卑下というのはイライラや不安感という感情よりも下の波動を持っています。
下の波動が良い・悪いというわけではありませんが、エネルギーが抜かれて行ってしまいます。
それが病的になったのがうつ病です。
それが進めば、今度は命の危険さえ出てきますよね。
つまり、自己否定・自己卑下するくらいなら、イライラしていた方がいいんです。
それがパワーになりますから。
このように、自分の理想を明確にすることはものすごく大切なのですが、自分の理想と今の自分を比較することで今の自分を下に下げることは百害あって一利なしなんです。
理想を描いたら、その理想の自分を演じること、そして今とのギャップを埋めるために何をするか。
それだけが重要なんですね。
で、自己否定や自己卑下をしてしまうという方は、自分自身を見つめていないために、自分を下にしちゃうんです。
たとえば、学校の先生が「お前はダメなやつだなぁ」って生徒に言っているのと同じように、自分の内面を自分の頭が否定しているだけなんです。
だから、学校の先生を優しい先生に変えるように、自分の頭を優しい頭に変えればいいんです。
生徒の話を聞いて、生とをホッとさせてあげられる先生のように、自分の内面の話を聞いて、自分の内面をホッとさせてあげられる頭になればいいんです。
たとえば、イライラしているときは「イライラしてんだな。そんな自分もOK。ただ、イライラに疲れてきたときは、好きなミルクティーでも飲んでみような」って感じで、ミルクティーを出してあげる。
たとえば、欲しい車があって、今の自分はまだまだ手が届かないとしたら「今はまだ手が届かないんだよな。そんな自分でもOKだよ。まずそうだな、ホッとするために、そしてちょっと楽しい感情になるために、イメージでさ、その車が手に入ったとしたら、どんな気分?どこに行きたい?・・・そ、その笑顔いいね!その笑顔で出てきた、車を手にするまでのロードマップはあるかなぁ?それを買いだしてみような」ってな感じで、前向きに内面を持っていくことができますよね。
そこには、自己否定・自己卑下はありません。
これは、数回やっただけじゃ、なかなか身につかないかもしれませんが、一日に何回も何回も、毎日のようにやっていくと、だんだんと身についていきます。
で、気が付いたときには前向きに考える自分になっていきますよ!
自分に3歳の子供がいるとして
その子どもがイライラしているときは、
「○○ちゃん、そうだね、イライラするよねぇ。わかるよ。」と対応しながら、そんな○○ちゃんのことを愛おしく思う。
その子どもが何かで落ち込んだり不安がっているときは、
「○○ちゃん、そうだよね、不安だよねぇ。不安を持ちながらでいいから、ちょっと落ち着こうか。大好きなミルクでも飲む?」
と対応しながら、そんな○○ちゃんのことを愛おしく思う。
子どもが内面で、対応するのが頭。
そんな感覚を『意識』することで、ちょっとホッとして、ちょっとうれしさが出てきて、自然と前向きになっていくようです。
自己否定や自己卑下になっている自分に気が付いたら、まずは自分の内面がホッとすることをやってみて下さい。
むりやり自己否定や自己卑下の考えを変えようとしないでください。
変えようとするのではなく、ホッとすることを考える。
自己否定になっていても自己卑下になっていてもいいです。
その状態でも、ホッとすることを考える。ホッとすることをやる。
ただ、それだけです。
もちろん、自己否定や自己卑下になる前に、いつでも自分の内面がホッとすることをやると、なんか気分よく一日が過ごせそうですよね♪